壮絶,うつ病闘病日記,妻の浮気妊娠,自殺未遂

人生の道を間違えた男の生きざま。うつ病発症して、妻に浮気されて、二度自殺未遂まで起こしました。挙げ句の果てに、生きてる価値無しと言われちゃいました。

壮絶うつ病闘病日記,妻の浮気妊娠,自殺未遂

*****第3章*******

仕事の定時は、9時から19時迄です。義父、義母、従業員は、定時に出勤して、定時に帰りますが、私は、朝7時から夜23時〜0時まで働きました、義父が、仕事覚えるまで、24時間働けと言われたからです。数日、朝まで眠らず働いた事もあります、24時間どころじゃないです。40時間ぐらい、ぶっ通しで働いた事も、あります。勿論、残業代は無いです。思い出しました、私の大学時代の友人が、以前ニュースで、女子社員が鬱病にかかり自殺した電通に入社しましたが、休みが、ほとんど無く、帰れるのが、いつも朝方3時とか4時
と聞きました。寝る時間を確保する為に会社の有る新橋に寝る為だけの部屋を借りたと言ってました、つまり、部屋を2件借りてたとの事です。給料は、残業代と休日出勤手当で、大卒一年目で、年収1000万近く有ったみたいです。しかし、彼は、とうとう我慢の限界で、約二年間勤めて辞めました。電通の社員は、がんばっている、私は、弱音を吐いたらダメだと、自分に言い聞かせました。
一年経った頃、従業員は、全て入れ替わりました。人の募集は、求人誌のみです、ハローワークでの募集は、出来ません、何故なら、義務で有る失業保険に加入してないからです。義父曰く失業保険は、企業も負担する為、何故、駒(従業員)の為に負担しないといけないのかと・・一生懸命働いている従業員に対して、【駒?】私は、絶句しました。
ある日、30代の若い夫婦で、働きたいと面接に来ました。ただ、ご主人は、持病で癌を患ってました。入退院を繰り返してましたが、義父は、今日もサボりやがってと、私は、耳を疑いました。そして、亡くなりました、義父は、お通や、葬儀に行く事は、有りませんでした。奥さんは、すぐ、辞められました。

義父の悪口ばかりですが、私が、何故、うつ病に、なったか?最低限書かない訳にはいきません。それと、皆さんには、世の中良い人ばかりじゃないと知ってほしいのです。
犯罪を犯す人と、犯罪を一度も犯して無いけど、人を人と見ていない人、私は、同じ悪じゃないかと思います。

正直に話します。してる事業とは、店です。接客業になります。これ以上は、書けません、ご了承下さい。
妻から聞かされたのですが、従業員は、2年以上もった方は、いないらしいです、最長で、二年間頑張った方が、いたのですが、自分で独立する為、辞めたらしいです。
私が、働き始めて、2年経っただろうか、休みは、普通に、もらえるように、なりましたが、勤務時間は、相変わらず平均23時までです。家に帰って食事して風呂入ったら、平均睡眠時間は、5時間です。
ある日と言うか、毎回ですが、連休に子供をどこかに、遊びに連れて行こうとすると、義父は、犬を飼っているので、いつも、私達に無理矢理預けられます、義父も連休は、毎回どこかに、旅行に行ってます。私達家族は、義父から預かった犬が、いるため、どこにも行けません、子供に申し訳ない気持ちで、いっぱいです。

相変わらず、仕事では、朝から晩まで、私が憎いのか、信じられない程のイジメに、あってます。
ある日の事、店に深夜、空き巣が入りました。トイレのガラスを割って中に入ったみたいです。貴重品は、置いて無かったので、盗られる物は、無かったのですが、義父は、私に対して、【情けないと思わないか、空き巣が入ったのは、お前が、しっかりしないからだ、割れたガラスは、お前の金で直せ】私が、しっかりしていたら、空き巣は、入らないのか?理解に苦しみました。

以前に義父義母の2人は、私の故郷に一回だけ、行きました。
何が、あったのか、わかりませんが、【お前の◯◯県は、ロクな人間が、いないな、日本に、無くてもいいぐらいだ!】と、私に言ってきました。私の故郷をバカにした発言です。それ以来、私も、今住んでる◯◯県が、嫌いになりました。

ある時、私の父母が、ゴールデンウィークを使って、久しぶりに義父義母に挨拶したいと、電話が、ありました。こちらに来るとの事です。それを、義父義母に話しましたら、「わかったよ」との事でした。ここで、又、私は、裏切られたのです!私だけじゃない、私の父母もです。実は、わかったと、言っておきながら、【旅行に行くから、あんたの、父母には、会えないよ、まあ、宜しく言っておいて】私は、落胆と言うより、悲しくなりました。私の父母は、約束通り来ましたが、訳を話したら、しょうがないねと・・
いったい、なんの為に新幹線で、4時間以上かけて来たのか、父母に申し訳ない気持ちで、いっぱいに、なりました。父母は、孫に会えたから、来て良かったと言ってくれました。(その時、私達には、2人の子供がいました。)私の母は、足が、悪く大変だったと思います。なのに、1番の目的である、義父義母に会えなかった・・

まだまだ、義父語録は、沢山あります。書いたら、一冊の本ができるぐらいです。

そして、働き始めて三年近く経った時に、私の身体に異変が、おきたのです。

第4章に続く